お昼過ぎに、懐かしい友人から電話がありました。
「今、ボゴール駅に着いたところなんだけれども、アサンの家に行くにはどうやって行ったらいいかね?」 電話の相手はスマトラ島パダン市に住む友人のKさん。 数日前にも連絡を貰っていて、 「近々ジャカルタに出る用事があるので、どこかで逢おう」とは聞いていましたが、 いつ来るのかなど詳細は不明でした。 いきなり電話してきて、今からお前の家に行くから、とは、いやはや... ちょうどお昼時だったので、近くのレストランで会うことにして、仕事を中断して、 急ぎ、待ち合わせ場所に向かいます。 Kさん、知り合ってもう15年近くになるでしょうか。 私がまだ東京で学生をしていた頃、あるセミナーのパネリストとして来日しました。 5日ほど日本に滞在していましたが、休日に東京観光する際のアテンドがいなかったため、 インドネシア語の勉強のためにと、私がお供したのでした。 上野公園や浅草なんかを案内したことが思い出されます。 東京タワーの展望台から眼下を見下ろした際に、目にした墓地の土地の値段を知って 「日本では貧乏人は死ぬこともできんな」とつぶやいたのが印象に残っています。 その後、私がインドネシアに駐在してからも交流が続き、スマトラ北部で仕事がある際にはお手伝いして貰ったりしていました。 2004年12月のスマトラ沖大地震の際は、日本からの支援チームの受け入れ先として奮闘してくれました。 そんなKさんに案内して貰ったスマトラ島北部。 オイルパームやユーカリのプランテーションの現場などを案内して貰い、多くのことを教えていただきました。 2005年の10月の写真です。 製紙用パルプを生産するためのユーカリのプランテーションと精製工場。 オイルパーム(油やし)のプランテーション。 どちらも、天然林が伐採されて、行けども行けどもモノカルチャーの広大なプランテーションが広がり、 森林劣化の現場を肌で感じる、貴重な経験となりました。 こちらはマングローブ炭を作る炭焼き小屋。 日本への輸出が、地域の人達の生計を支えていることを知りました。 グヌン・ルーセル国立公園では、リハビリを終えて野生に返されたオランウータンと出会うことができました。 森の中で大きなムカデを手に乗せておどけるKさん。 さて、そのKさん。約束のレストランに向かうと、娘さんと二人で私を待っていました。 娘さんがこの9月からインドネシア大学の数学科に入学することになり、 娘さんの寮探しを兼ねて、西スマトラのパダン市からバスに乗り、1昼夜かけてジャカルタに出てきたとのこと。 娘さんを交え、昼食をとりながら昔話に花を咲かせます。 1時間ほどで食事を終えると、神妙な面持ちになり、「ところで...」と話を切り出します。 「さて、こうして娘が大学進学することになった。 学費と下宿代はなんとかなったけれども、学業に必要なノートパソコンを買ってやる費用が足りない。 ついてはアサンからの支援を受けたく、どうか頼む!」 聞くと、あちこち知り合いを回って、既に250万ルピアほどは確保できたとのこと。 まだこれからあちこち回るけれども、目標にしている400万ルピアを得るために、私からも支援をして欲しいとのことでした。 突然のことで少々面食らいましたが、財布には食事代を払っても50万ルピアほど残っていたので、そのお金を差し出しました。 約4500円ほど。もうちょっとあげられれば良かったのですが、ちょうど財布の中身がそれしか残っていなかったので。 日本人はお金持ちと思われていますから、インドネシアに住む日本人は 多かれ少なかれ、金を借りたい、という申し出を受けた経験があるかと思います。 私もこの10年間で数え切れないほどの依頼を受けています。 ただ、貸したお金が返ってこない、その後、連絡がつかなくなる、など、 お金が絡んで友情が途切れるケースも多く、いろいろと不快な思いもしているので、 この手の話は避けたい話題のひとつではあるのです。 しかし、今日のKさんの申し出は気持ち良いものでした。 知らぬ仲ではなし、お金が必要ならば電話でやり取りし、 直接顔を合わさずともKさんの口座に送金することだって可能です。 でもKさんは、わざわざスマトラから島を渡って、娘本人を連れて私に挨拶に来ました。 お金の無心など、本来は娘の前ではしたくないのが親心だと思うのですが、 彼はむしろ娘の前で頭を下げ、貸してくれ、ではなく、娘のために支援を求む、と恥じることなく申し出たのです。 ジャカルタからは1時間かけて電車に乗ってボゴールまで私に会いに来た訳ですが、 娘さんを寮に置いて、一人で来ることだって可能だったはずです。 知り合いを回って、娘の目の前で頭を下げる父親。 困ったときにはいかに日頃の人間関係が大事であるか、ということや 人に支援をお願いすることがいかに大変なことか、ということを 娘さんは肌身で感じたことでしょう。 また、たかだか4万円程度のノートパソコンを買うにあたり、 知人を訪ねまわる苦労と恥ずかしさも知ったでしょうし、 どの人がどんな思いで支援をしてくれたかということも、感じ取ったことでしょう。 「少なくて悪いけれども、財布にはこれだけしか残っていないので」と 10万ルピア札を5枚掴んで、Kさんに渡そうとすると、 「俺じゃない、この金を受け取るのは娘だ」と、娘の手に直に渡すよう促します。 娘さんも「有難うございます。しっかり勉強することをお約束します」と頭を下げて受け取ります。 ノートパソコンを手にした時に、きっとこの気持ちを思い出してくれることでしょう。 Kさんのこの振る舞いに強く心を揺り動かされました。 娘の前でお金の無心をする、という、恥と受け取られてもおかしくない行為を、 親としての教育指導の場として生かすKさん、天晴れと思います。 「ボゴールに来た目的は達成した。本当に有難う」と、礼を述べて、二人して電車に乗って帰るKさん親子。 これからジャカルタに引き返して別の知人を回り、目標額を達成してから、 娘は寮で入学の準備をし、父親は独りバスに乗ってパダン市まで帰るそうです。 たかだか5000円弱の支援しか出来ませんでしたが、Kさん親子に多くのことを教わることになりました。 親の苦労も考えずに学費を工面して貰っておきながら、 卒業後は親を放ったらかしてインドネシアの地で好き勝手やっている自分を恥じ入ります。 Kさんの素晴らしい態度に感動しつつも、自分のふがいなさを噛み締める、複雑な気持ちの夜を、いま過ごしています。
by asang
| 2012-08-30 01:12
| Friends, neighbors
|
カテゴリ
全体 Urbanscape Ruralscape Livelihood Portrait Daily life Event Still life Food & Dining Flora & Fauna Friends, neighbors Kalimantan Bali Jogjakarta Camera & accessories 未分類 ブログパーツ
タグ
DA*16-50mmF2.8ED AL(136)
FA77mmF1.8 Limited(78) FA43mmF1.9 Limited(77) DA*50-135mmF2.8ED(68) FA31mmF1.8AL Limited(52) Tamron AF18-250mm F3.5-6.3(51) FA35mmF2AL(46) DA12-24mmF4ED AL(45) DA*60-250mmF4ED(39) Planar T* 1.4/85(33) Tamron 17-50mm F2.8(32) Voigtlander Nokton 58mm F1.4(32) FA50mmF1.4(29) Makro-Planar T* 2/100(22) optio A30(10) optio s5n(8) DA18-55mmF3.5-5.6AL(8) DA18-55mmF3.5-5.6AL II(8) Sigma APO 70-300mm F4-5.6(4) FA28-80mmF3.5-5.6(4) 以前の記事
フォロー中のブログ
Rough Style バイオマスおやじの日々 保管庫 -beatnews- Wanzoproject... ぼんぼんトントン 写真 Black Face S... おphotoで遊ぼ! きままに写真撮影 想い出のフォトグラフ ... 笑い方を忘れた時は・・・ ほんまか!写真日記 BISIK-BISIK Howlin'Dog's... リンク
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||